人に教える側になってあらためて考えた
先日、オイルトリートメントをレクチャーする機会をもらいました。相手にはかなりの薄着になってもらうので、安心感のある空間づくりのことや、「あなたひとりにしませんよ♪」という大切にお客さんをもてなす気の配り方について考えてみたり。人の体についてどんな流れになってるのか、「良くなる」ってどんなことなのかなど、意見交換しながら進めました。必要なことは『全体的に見て触れて感じたことを優先する』ってことだと思います。親しい人であれば気付くはず、あれ?いつもと雰囲気が違うなあ何かあったのかなというような、目に見える変化ではないけれどなんとなくそんな気がする・・・という種類のアンテナ。初めて会う人であっても、そのアンテナを働かせることで、相手の状態を知ることができます。基本の手技が身についていることと、目の前の相手にどう施術するのかはまた違う話。教わった手順を盲目的に信じていると、相手に対して何のためになぜそれを行っているのかが吹っ飛んでしまう。私にとっても勉強になりました。
私の施術はとにもかくにも『押さない揉まない』主義であり手技なのですが、一部『押さえる』手技があって、この練習の最中に質問をもらったのですよね。
どれくらいの圧力で押したらいいですか
この質問に違和感を感じました。たとえて言うなら、「かぼちゃの煮物は鍋で何分煮たらできあがりますか?」って聞かれるような感じ。料理する方ならわかってくれるかな、ちょっと待った!って思いませんか?
何分?いや何分て聞かれたら答えるけれど、そもそもどんなお鍋使ってるのか、かぼちゃの量はどれくらいなのか、カットの大きさとか、火加減もそうだし味の付け方・・・っていうか煮汁がどのくらいかにもよるから何ともいえなくて。何分とかじゃなくて柔らかくなるまで味を煮含めればいいんだけどさ・・・。いろいろ譲って、相手の台所事情を確認して○分くらいかなって答えられたとしても、じゃあその人が今度は実家に帰省して料理することになったらまた聞かなきゃいけないよね。この場合は何分煮たらいいですか?って。
話を元に戻します。「ここを、これくらいの強さで押せば合っている」っていう理解のしかたでなくて、「これをしたいから、この人の場合はここをこうする」という考え方を持つと、常に目の前の相手にあった施術が行えます。全く同じ動きをしていても同じような強さで押していても、施術する人によって受ける側の体感は違うものになるし、施術を受ける人によっても当たり前だけど伝わり方は変わってきます。体の大きい人、厚みのある人、小柄な人、華奢な人、骨っぽい人、水っぽい人、温かい人、冷えている人・・・。当たり前のことだけど、同じ人はいないのだから。同じ人でも、その時のその状態には二度と会えないのですよね。
察する力
そこで私が頼りにしているのが、最初に言ったアンテナを使って情報を得ることです。私はヒーリングもやるので、きっと特別な能力を使ってなにやら読み取るに違いないと思う方もいるのだろうなと思いますがそんなことはなくて。私たちが当たり前に持っている「察する」力を駆使している・・・のだと思います。そこの整合性をとりたくて本を読んでいるのですが、文字だらけで私には難しかった(;´Д`)
人に触れる、それだけですでに相手に反応が起こっています。自分の電気と相手の電気が触れることで反応が起きていて、トリートメントの最中にはいろんな発見とドラマがあります。骨格、筋肉、内臓、血管、リンパ、そういう身体的な条件の他に、目に見えないけれど人の命を支えている部分に触れていて、どこまでそれらを読み取って、自分を通して相手の身体上にイメージを作ることができるか。今の私の執着ポイントのようです。