逆説的だけど、きっとだいたいはこんなもの
「体が緩んでいくのを感じたことで、それまで緊張していたということに気付いた」お客様の施術の中でいただいた言葉です。変わりたい・手放したいという思いを置いといて、いったん相手にゆだねてみる。するとすでに変わっていた・手放していた自分に気付く。逆説的だけど、こんなものかなあと感じることが重なっています。
悩んでいるときって、自分が信じているものの中から答えを探そうとしている。そんな気がしていています。だから、いくらつじつまの合った答えを見せられても、でも・・・と納得がいかない。これを突破するのは、それを体現している人に会うか、自分が体験してしまうかしかなくて、どっちにしてもちょっとしたバンジー的な『思い切り』が必要なのかもしれない。
定期テスト前の娘から、勉強を教えてくれと泣いて頼まれて(もうぎりぎりなものだから友達や先生に聞く時間がなかった)、いいよーと軽く返事をしたものの、サインコサイン、それに摩擦係数やらなにやら。そんなほいほい教えられるか!という内容で一瞬怯んだけれど、いざテキストを見てみたら、一回通った道を思い出すようになんとかわかるし解ける(笑)。何がわかんないのかもわかんない、もうやだーという娘に、「わかんなくていいからまず一緒に解いてくよ」と強引に進めていくうちに、どうやらなじんできた様子。これも『知らないことはわからない』というところから『体験してしまった(ちょいバンジー)』ことで、信じていた範囲から飛び出すことができた例かなと思います。
信じるものの向こうがわ
そんな私も、最近そんな経験をしました。私はカンを頼りにものを決める性質で、「だってこの方法がいいと思うんだもの」という勢いで精油を選び、クレイを選び、施術方法を決めていますが、それもすでに身についている知識や経験をベースにしてのことで、何の根拠もなくこれとは決められない。特にクレイは、自分の体感のほうが勝っていて知識とのバランスが悪く、いまいち自信が持てずにいました。
うっすらとつかめているのだけれど、『それを理解することができない』ということを私は信じていたようです。その中で悩んだり焦ったりしていましたが、そもそも『理解できない』と信じている以上、『理解してすっきりした』自分には会えないわけで。
先日、愛媛県「漢方のイナイ」薬剤師の稲井先生の勉強会に参加して、クレイテラピーが超絶サイエンスなものであることを思い知らされて唖然としました。わからないことがわからない。だからと体感に頼っていましたが、まだまだ知識をつけられそうだし、それによって体感もさらにクリアになっていくだろうことが目に見えてきました。
時間ができたら高円寺と西荻窪をぶらぶらして、夜はライブ三昧!って思ってたのに、実際はひたすら読書。それと地味な家めしづくり。そんなものだね。
ちょうど読んでいるこの本ともつながるところがあって。なんだかわからないからあやしいと思いがち(と勝手に私が思い込んでいる・・・のかな)なエネルギーの世界はれっきとしたサイエンス。そのうち私の言葉で説明できる日が来るだろうな。
そんなわけで今から、私は私の信じるものの向こうを見るため、ずっと会いたかった坂爪圭吾さんに会いに行ってきます。今日も地味な家めしの準備もOK(*´ω`*)