いま私が影響を受けまくっているのが、甲野義紀先生。古く日本人に伝わってきた体の使い方を、武術を通して再発見しようと研究されている方です。
武術に関する古い記録の中には、超人的な技や身体能力を持っていたスゴイ人、いわゆる達人についての記載がぽろぽろあるのだそう。それって、とってもすごい人だったってことを伝えるためにちょっと「盛って」表現してるんじゃない?と私は思ってしまうのですが、甲野先生はどうやったらその技が実現できるのだろう、その力はどんな動きから生まれるのだろうということをひたすら考え、そして『身体』を通して確かめている。そして実際に「あれ?」と何が起こったのかわからない、体験したことのない動きを見せてくれる。
立つ、座る。こんな当たり前の動きでも、私だと「よーいこらしょ」なんてふらふらしながら重い動きをするのが当たり前で、スムーズに動きたければ体重を減らすくらいしか案が浮かばないのですが、これが甲野先生の指導を受けてあらためてやってみると、それまでと全く違う力が働いて軽々としかも美しい動作に変わる。
これは、『めっちゃ体がだるくてなんにもする気がしなくてゴロゴロしていた息子が、ゲームのためなら家の手伝いも進んでやる』とか『本を読もうとすると途端に眠気に襲われるのに、好きな俳優が出ているドラマは深夜だろうが絶対にオンタイムで観る』みたいな力の出し方と共通する部分があるように思うし、いわゆる『筋肉の収縮による運動』の域を超えた力の存在を意識させられます。
それって、別にオカルトとかトンデモ系の話ではなくて、上のような生活の当たり前のことの中にヒントがあるよね、もっと掘り下げられるよねということで。甲野先生が武術を40年近くも続けてきていまだに進化し発見があるように、私も進化したいし発見したい!実際にお会いした先生の迷いのない佇まいに刺激を受けて動き始めました。
生まれてから死ぬまでずっとこの『身体』と一緒です。季節が廻って来る度に美しい景色に感動する、大切な人との別れを悲しむ、そういう心の動きは感情が『身体』いっぱいに広がることで感じられます。
今日も納豆がおいしいなとか、あなたとっても素敵な歌声だねとか、なんて懐かしい匂いだろうとか、いわゆる五感も、やはり『身体』全体に広がる感覚。人生は『身体』を使って様々な感覚を得ようとする壮大な遊びなのかもしれないな。そう思うことがあります。
『身体』の外から得られる情報に振り回されて消耗してしまう人がいます。それらは全部ヒントでしかない。あるときからそう考えるようになりました。答えは自分の『身体』にある。重くて動きに制限があって管理が必要で寿命もあるすごく不便な、現実の象徴でもある『身体』を通して、今とんでもなく広い世界が見えています。
生まれて40回目の冬の入り口。身体に沁みますな(*´ω`*)
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