2017年が始まりましたね。今年もよろしくお願いいたします。昨年はてなブログにお引越しして以来、ブログのアクセス数は笑ってしまうような数字が続いているのですが、むしろこっちが本来の数なんだろうなあと、かつてのアメブロの思いやり?励まし込みの増し増し解析を懐かしく思っています。相変わらずのペースで更新しますが、より多くの人に届けたい気持ちを昨年よりもむき出しにして取り組みます。
さて。いきなり昨年の話からで申し訳ないのですが、一年の終わりに素晴らしい映画に会った!と大感動したのをまずお伝えしたいと思います。
『シーモアさんと、大人のための人生入門』シーモア・バーンスタインという89歳のピアニスト・現役のピアノ教師を追ったドキュメンタリー映画でした。
予告を見ると、人生に役立ちそうなありがたいお言葉を次々と押しつけられる映画かな・・・なんて構えていましたが、中身は彼のレッスン風景とピアノ演奏、そして彼の笑顔がいっぱい。もし日本語訳がなかったとしても十分伝わる内容でした。
音に人の感情や愛情が込められている
人の能力には様々なものがあります。身体能力とか学力とか他と比べて数値化できるものもあれば、観察力とかコミュ力とか人とのかかわりの中で特化していると認められるようなものも。例えば人の話の内容とは別に、声の調子からその人の状態を感じ取ることができる、そんな能力を自覚していますか?どこどこに行って楽しかった、誰と会った何をした、そんな一見楽しそうな報告を聞きながらも、どこか触れてほしくないような自分でも見たくないような、部屋の隅っこの薄暗い部分のようなものがその人の声から見え隠れするみたいな。『音』の調子から人って何かを感じ取ることができるのです。
ピアニストが自分でピアノを選び(ピアノは一台一台音色が違います)、曲を決め演奏する。そこに込められた感情や愛情や悲しみや・・・ひと言でまとめてしまえばその人の人生をくるっとまとめて体にのせ音を奏でる。作曲した人間の思いを楽譜から読み取って、それを自身の体を介して表現する。アーティストとかパフォーマーといった人というのは、その人の個性をいかに形にするかが目指すところなのかと漠然と思っていたところがありましたけど、この映画を見ながら思ったのは、
個人の能力(体格とか性格とか得手不得手とか生きてきた経過とかとかとか。ざっくりでごめんなさい)を最大限に生かしたときにすっごくシンプルなところにたどり着く。それはどんな人にも共通する「感動」とか「喜び」といった言葉で表現できるような類の感情をもってあらわせる。そして美しさを伴う。
っていうこと。ある人はテクニカルな表現をするかもしれない。ある人はリリカルな表現をするかもしれない。同じものでも表現者の体を最大に生かせる状態で表現されたときには、同じ結果にたどり着くのかな、と。
シーモア・バーンスタインの演奏を聞けばわかるよ♪と言いたいところですが、この映画のパンフレットから、ピアニストの大木裕子さんのコラムの一部を引用します。
それは、音楽そのものの探求と同時に、その音楽を演奏するのはあくまでも人間であることから、この人間という複雑な生物ーー性格も能力も傾向も肉体的条件も すべてが人によって違い、複雑に様々に配合されている一人の人間ーーが、一つの作品を表現、再現するためには、一人の人間の中の様々な要素が互いにうまく機能しあって統合されなければならず、それらの統合が成されたとき初めて演奏という行為がその人のものとなる、という信念に基づいてティーチングされているように思えることである。
ああ、わかりやすい(*´ω`*)
誰かとても幸せそうに生きている人を見て、羨ましいな私もあの人のようになりたいなと思ったときに、ただ表面的に「真似っこ」しても意味がないのは、引用した文章でいうならば、私たちひとりひとりが『性格も能力も傾向も肉体的条件も すべてが人によって違い、複雑に様々に配合されている』ために、到達方法がその誰かとは違うからなんだね。
単純な私が「この人すげえ!」というひと言で済ませてきた感動の中身を少しだけ言葉にして整理できた、そんなきっかけをくれた映画でした(*´ω`*)