知りたい、知りたい。
かつてはこの衝動を『知識(データ)』をひたすら集めることで満たせるんだと思っていました。
世の中には正解と呼ばれるものがあって、それを見つけて『知識(データ)』として蓄える。あらゆる分野の正解データを集めれば私は納得するだろうと。
でもそこで謎が湧く。誰もが自分で作り上げた基盤をもとにして論じたうえで正解だと言っているように見える。自分に都合のいいフィールドで、自分の都合のいい正解に向かって論じているように見える。
はあ、これではいくら知識を集めても意味がないなあ。そこで大切にしているのが『知恵(経験からえられるもの)』さらに『体感』。
知恵と体感がないと本質に向かうことができないな、でも知識というデータを踏まえることで知恵も体感もより深くなるもの。そう思ってあるときから『自分が何を感じたのかを最優先する』ことにしました。
授業やテレビで聞いたことのあるキーワードが出てくると、すぐに「それ知ってるー」と反応する子がいます。今日の講義では「1とは何か」「面積とは何か」など、誰もが「知っている」はずのことが、いかに当たり前でないかについて話しました。「知る」ことは、そんな生易しいことではない。
— 森田 真生 (@orionis23) 2017年6月22日
とにかく「ものにじかに当たる」ことが必要だと思う。自分で考えてみたこともないことを、言葉を聞いただけで「知ってる」という。そういうことをしていると、一生情報に振り回されることになる。
— 森田 真生 (@orionis23) 2017年6月22日
すると見えてくるんです。まだはっきりとしたかたちにはならないけれどそれが見えてくる。
その、見えているものについて、私と同じように捉えている人がいることがわかる。
ここでも、同じようなことを言っています。
http://uzumakiaroma.hatenablog.com/entry/2017/04/18/112307
知識と知恵と体感。ん?知識と体感と知恵、かなあ。